ちび龍の修練場

文系総合職のふつーのビジネスパーソンが、食いっぱぐれないキャリア構築と、社会変革の両立を考えていく思考のラボ。

問い:音楽のアナロジーでビジネス世界を捉えると、どんな世界が見えるか?

私にとってのロールモデルが誰か?と聞かれると(いや、別に誰にも聞かれていないけど…)、自分はビジネスの世界の人間でいようと思っているのに、ビジネスパーソンの顔は思い浮かばない。もちろん学ばせてもらった先輩や、優秀だなあと思う人たちはいるけど、ずばりそうなりたいか?と聞かれると、自分の目指しているイメージとは異なる。

 

自分にとって、自分もこうなりたいと思えて自分を奮い立たせてくれる存在は、実はミュージシャンだ。一部、時々アスリートなんか見て同様の気持ちも抱く(でも残念ながらスポーツには詳しくないので、やっぱりイメージのストライクゾーンはミュージシャン)。

 

私自身は、音楽好きのただのアマチュアだったが、下手の横好きなりに少し音楽の世界に潜ったことで、ビジネスの世界とは違うものの見方、取り組み方が当たり前になった。だからいいとか悪いという話ではないが、自分の根幹をなす部分として書き記しておく。なんせ、青春時代に下手くそなまま終わった音楽の世界でできなかったアウトプットをビジネス(の世界を中心とした社会において)でリベンジしてやる、というのが、社会人としての自分の裏テーマだったりするからだ。

 

まず、他の芸事やスポーツもそうだと思うが、いい見本を見て、変な癖をつけないうちに基礎をしっかり固めることがビジネス以上に重要であると思う。ビジネスの世界でも基礎は大事だが、社会人の基礎力は時代のマナーレベルや、ITツールの進化によっても変わる。その上、最低限の基礎的なスキルと立ち振る舞い・(精神的な)姿勢以上のものは、後々身に着けてもけっこう身につく。ビジネスでは、時代によって、立場によって必要とされるスキルもそのクオリティも変わってくるので、ラーニングとアンラーニングを繰り返すことがより重要になるし、手戻りがきかないような基礎の土台はあまり厚みがないように思う。一方、芸事やスポーツの基礎は守破離の守であり、自分にとって自由がきくレベルの手前くらいまでを指すように思う。これが固まっていないということは、まだ固まっていないコンクリートに立とうとするようなものであり、なまじ固まろうものなら変な癖に足場を固められて、抜け出すのに苦労を強いられる。

 

次に、ジャンルを越境することが当たり前になる。もちろん中には、このジャンルだけやる!という人たちも少なくないが、80年代あたりでジャンル的に飽和状態を迎えて、開拓地らしき開拓地が残っていない音楽の世界において、自分なりの音楽を創造しようとすると、学術の世界でいうところの学際研究の方向へ道を見つけざるを得ない。完コピレベルまでいかずともジャズ、クラシック、ファンク、フュージョン、ラテン、ポップス等々の世界で巨人の肩に乗る。そもそもこれらの分野が完全に切り分け可能なかたちで発展してきた訳ではないので、巨人そのものが混血種だったりする。そしてその上で、必ずしも新しいと表現できるか分からないが、「自分なりの」音楽を創造する。上手い人は、自分なりのテイストと、時代と大衆に合ったテイストの交差点を見つけて、多くの人の心を掴み、商業的にもプレゼンスを発揮している。

 

この感覚を土台におくと、まず産学官の壁が自分の中で取っ払われる。もちろんそれぞれの役割ってものがあると思うし、経済の世界の論理を安易に公共サービスや人情味ある地域社会へ持ち込むつもりはない。ただ、それぞれに学ぼうとか、一旦壁を取っ払った上でどのプレーヤーがどの役割を果たすべきか、果たせるか、という視点は得られるように思う。しかし、職業人として根無し草にはなりたくないので、ライフワーク的に産学官の壁を超えて活動することがあっても、自分は基本的に「産」の分野の人でいようと思っている。次に一職業人としても、自分の分野的な幅を決めない姿勢になる。ただ、これはスペシャリストではなくジェネラリストなんじゃないか、という見方もできる。これについては毎回思うが、スペシャリストとジェネラリストの間には逆説というか矛盾のような、だまし絵のようなものが存在しているように感じる。つまり、スペシャリストを極めようとすると、周辺分野や補完分野への理解も必要になり、ジェネラリストは、ジェネラルとは言えその必須科目を押さえた(あるいは押さえるケイパビリティのある)専門家である必要がある。結局相対的な幅の広さで呼び分けられている気がする。真のジェネラリストは、文系総合職を指すのだろうと思うが、終身雇用の崩壊は文系総合職という職種の存在の危機であるとも換言できるだろう。

 

ちょっと話が横道に逸れてしまったので、専門性という言葉の限界と矛盾についてはまた書くとして、それで結局自分のロールモデルは、根気強く自分の音楽を追い、表現し続けるプロミュージシャンとなった地元の先輩なのである。