ちび龍の修練場

文系総合職のふつーのビジネスパーソンが、食いっぱぐれないキャリア構築と、社会変革の両立を考えていく思考のラボ。

仮説:ビジネスとソーシャルとガバメントの関係(2)

所謂 C to Cビジネスは、当初は市民活動的な、「余ってるんだから分け合えばいいじゃん」というシェアの概念に基づいていたのだと思うが、エアビーにおいては部屋を借りて、掃除する人を雇ってホテルオーナー業を始める人が出てきたし、ウーバーは会社の時価総額が上がる一方で、その事業の中身を支える人たちはギグワーカーという名の低賃金労働者となってしまった。私はこの事業構造を思い出す度、一見自動化されているように見える設備を、裏で奴隷複数人が汗をかいて動かしている古代ローマの情景が目に浮かぶ。エアビーの社員は、想像に難くないが、自分たちのことを相互扶助的なコミュニティのオーナーとも思っていなければ、ホテル事業者とも思っていない(内部に詳しい人から聞く限りそうらしい)。オフィスでPCに向かいながら名をはせていく、クールなIT企業だと思っている(IT企業という言い方も先進さが足りないかもしれない)。

 

ビットコインも、中央集権的な金融システムからの脱却みたいなことを当初謳っていたが、謳っていた人たちに欲が出てきたのか、金銭的な欲の強い人たちに乗っ取られたのか、結局ただの金融商品、ただの一時的なバブルとして、その初期的なブームを終えた印象がある。

 

ソーシャルとビジネスは一見そうは見えないかもしれないが、混ぜるのが難しい。最近では社会的意義やSDGsを意識しているかなどが問われるので、距離が近くなったようにも思える二者だが、ビジネスがビジネスとしての一定以上の収益性を保ったまま、社会善を兼ね備えるのはまだ成立しやすいとしても、その逆は難しい。ちょっとだけビジネスの論理で資金を調達し、ちょっとだけ収益を上げようとしても、新しい金儲けのネタができたと喜んで寄ってくる投資家や、これに便乗して元の社会的意義を壊してまで、これで儲けようとする人たちが出てくる。せっかく清らかな心をもって事業を始めても、一筋縄ではいかない。

 

まずは前回の最後に書いたように、昨今融合しがちな三者が、本来的には(どれか1つポジションを取るなら)どれだっけ?ということに想いを馳せたい。そこからブレずに、他の二者との協力、二者の要素の取り込みができるプレーヤーになりたいものだ。