ちび龍の修練場

文系総合職のふつーのビジネスパーソンが、食いっぱぐれないキャリア構築と、社会変革の両立を考えていく思考のラボ。

仮説:褒められ慣れるのもだいじかもしれない

少し前の話になるが、 某市長のSNSでの言動が暴走し始めているというか、調子に乗り始めているというか、政策を全国から褒められすぎて舞い上がって、自分の市政の範囲外、自分が掴んでいる事実の範囲外のことに対してまで、さも正義の味方であるような発言をされており、あぶなっかしくてたまらないと感じていた。

 

政策など、やっていることは概ね素晴らしいことだと思う。今の日本で、特に国に対する国民の不満をスカっとさせてくれるような未来志向の政策だ。

 

ただ、そこに事実があるわけでもないのに、まして市政に関係ないのに(ご自分が事実を掴んだ、あるいは被害を受けた訳でもない)、憶測で「きっとあいつは悪の大王だ」みたいなことを言い出してしまうのは、どうかと思う。個人ではなく会社を批判しているあたり、その事業に携わっている、あるいは携わった人間からすると風評被害でしかない。これまでマスコミに煽られてきた巷の感情に乗っかって、こいつを叩けばいいねがたくさんもらえる、という発想も容易に想像がついてしまった。

 

自分がいつか、大なり小なり、すごいねと人に言ってもらえる活躍をできるようになった日のために、小さな誉め言葉に慣れて舞い上がらない練習も必要なのかもしれない。愚直に自分の立場で、自分のやるべきことをちゃんとやろう。

 

案の定、某市長は周囲から注意されたのか、本業のtweetに限るようにし始めたようだ。