ちび龍の修練場

文系総合職のふつーのビジネスパーソンが、食いっぱぐれないキャリア構築と、社会変革の両立を考えていく思考のラボ。

仮説:いつの時代も常識を破壊する産業は、そこで働く人間のビジネスの常識も破壊する?

悲しいけれど、なんだか若いのに老害が誕生していく瞬間を見てしまったので、老害誕生のパターン分析的なことをしてみようと思う。

 

もちろん、旧態依然とした大企業で長く過ごすうちに、そこにしがみつくしかなくなり、しょーもないマウントで自分の存在意義のマーキングをし始めるタイプの老害おじさんも一定数いるのだが(大企業のピラミッドが、20代後半から30代を飼い殺す構造であることについてはいつか別途触れるとして)、これとは逆に「新しい領域で成功を収めて輝ける若者だったのに、その経験がかえって老害を促進してしまった」というケースもあり得ると感じた。

 

いつの時代も、ゲームのルールが不明瞭な、混沌とした新しい市場が生まれる。そこで勝ち上がっていくためには、ゲームのルールが不明瞭、またはコロコロ変わるがゆえに、常に勝ちパターンを探り続ける必要があり、むしろとにかくがむしゃらにやったもん勝ちの世界となっている。そしていつの日か成熟するのだが、市場としては成熟あるいは安定したほどほどの成長基調にあったとしても、会社としては先進国と中進国のように分化する。

 

「中進国の罠」という言葉があり、内閣府によると「発展パターンや戦略を転換できず、成長率が低下、あるいは長期に渡って低迷することを指す」と定義されている。

 

一方、人間の行動パターンとしてよく見られるなと私が日頃感じているのが、名付けて「慣性の法則」なのだが、これは物理法則としての慣性の法則以外にも、「生活レベルを下げられない」、「バブルの頃が忘れられずに今の時代を物足りなく思う」、その他依存性全般などの人間の心理や行動の継続性を指している。「電車は急に止まれない」と、「今までの習慣は急には止められない」は同じような現象であると感じる。

 

成長の末に先進国的大企業になれば、社会的責任が増し、大きな企業として組織だった仕事の仕方ができるようになり、周囲の同規模の会社と付き合える程度には常識的なふるまいができるようになると思うのだが(逆に大企業病にかかるよね、という話は一旦さておき)、中進国的企業になってしまった場合には、過去の成功体験が忘れられず、なんでもがむしゃらを良しとし、それゆえに組織だった組織になれず、それゆえに尚更中進国止まり、、といったループにハマる。そして本人は食うに困らない経済圏と楽しい仲間がいるので「俺って最強!」と思っている。先進的(だった)市場に限らず地方豪族もこんなものなのかもしれないし、本人は大変ハッピーなのかもしれないが、このタイプと付き合うときには「成りあがった中進国リーダー」かもしれない、とアンテナを張っておくことは有効だと思われ、また昭和でなくとも新種の根性論が生まれ続ける源泉を見たことを報告しておく。