ちび龍の修練場

文系総合職のふつーのビジネスパーソンが、食いっぱぐれないキャリア構築と、社会変革の両立を考えていく思考のラボ。

熟考:歴史は急には動かないし、社会は我々の手を離れて動き出す

小学生の頃の担任の先生が大の歴史好きだったため、自分自身もかなり影響を受けたのだが、そのときその先生に言われて心に刻まれた言葉がいくつかある。教わったのが小学生の頃だけに、社会に出たらみんな当たり前に認識しているものだと当時は自分の認識の甘さを恥じたが、社会に出たら意外とそうでもなかった。そうでもある人もいると思うし、自分の周りの大多数がそうであるだけなのかもしれないが。

 

その言葉のひとつが「歴史は急には動かない」だった。

 

当時、「その時歴史が動いた」という番組がNHKで放送されていた。歴史上のエポックメイキングな出来事を切り取って扱うためのセンセーショナルなタイトルとしてつけられたのだと思うし、実際、歴史上大きな転換点になった出来事というのは、実際それらであったとは思う。

 

ただ、社会や人々の価値観、生活は急に変わるものではないし、大きな転換点になった出来事の前にはコップに水が溜まっていく長い時間があった場合もあり、コップから水が溢れたあとに、その水の浸透に幾年もかかっている場合もある、とのことだった。

 

人類の歴史において、比較的変化のスピードが速い時代に生きている自覚はあるが、それでも「社会や人々の価値観、生活は急に変わるものではない」ということは痛感する。

 

例えば、コロナ禍によってテレワークが急速に日本で進んだのは、かなりエポックメイキングだったと感じる。転換点であることには変わりないが、それでもこの背景には電話のみならず、メール、そしてインターネット環境が発達し、定着してきたことが大きく寄与しているし、進んだかと思いきや、ちょっと感染者数が減ったとたんに出社を命じる会社や、そもそもテレワークさせてくれなかった会社もある。逆に毎日テレワークというのも困りもので、我々人類がテレパシーで交流を深められ、毎日座りっぱなしでも健康に支障がないというわけではないなので、いくら会社の方針がテレワークであっても、人間の感情と身体がすぐには順応しきれない。

 

テレワークはコロナ禍によるアクシデントの要素もあるが、例えば他の例としてインターネットやスマートフォン上のサービスやアプリケーション。直近5~10年は雨後の筍のようにIT企業(という名のサービス企業。あ、失敬。)が生まれ、「起業なんて低資本で始められる!」「古いものはどんどんディスラプトしよう!」という空気感があったように思うが、インターネットの歴史を振り返ると(それでも人類の歴史の中では超速の変化だが)、インターネットという通信インフラが整い、そこで共有される情報への抵抗感が薄れるまでに数十年かかっている。インフラが整い、コンテンツが流通し、利用者のモラルとリテラシーが定着したことで、アプリケーションの世界が加速するタイミングが来たのだと思う。C to Cサービスだって、SNSに人々が慣れたという文化的な基盤の上に成り立っているように思う。オークションサイトはそれまでにもあったが、C to Cとこういったサービスが異なるのは、レーティングシステムによる信頼性の担保が革命的だったという意見もあるものの、そういったドライな要素以上に、SNS慣れした人口がそのまま潜在的な市場として登場したことが大きく寄与しているように思う。

 

つい話が長くなって、タイトルの後半部分に辿り着かなったので(なんなら前半部分も話し足りない)、続きはまた今度にしたい。