ちび龍の修練場

文系総合職のふつーのビジネスパーソンが、食いっぱぐれないキャリア構築と、社会変革の両立を考えていく思考のラボ。

仮説:イデオロギーアレルギーのある人は多いのではないか(3)

いや、まだ続くんかい、という感じですよね(笑)言い残したことがあると後で気になってしまうだろうということで延長戦です。テレビで発言したり、インタビューを記事に書き起こされたりすると、変なところだけ切り取られて炎上する、という現象がありますが、ここは自分のブログなので補足し放題。自分の発言は点ではなく線に、そして記述が増えるほどに立体になっていくように思います。立体に見えるまで読む物好きがいるかどうかは別ですが…

 

延長戦その1。

資本主義という言葉を使った論争のようなものを巷で見ていると、資本主義という言葉が、市場経済貨幣経済の意味で使われているのでは?というケースが散見される。つまり資本主義についてのちょっとでもネガティブな発言に対して、実質的には「俺らの市場経済を悪く言うなよ?」と言っているような感じのやつだ。個人的には(この3つで本当にMECEか?ということはさておき)、この3つの関係は以下であるように思う。

 

 貨幣経済市場経済⊂資本主義経

 

※集合の記号は自分自身忘れていたのでちょっとググった。(「A⊂B」の場合、「AはBに含まれる」の意味。ベン図を貼るなどの高度なブログ編集技術がないのでご容赦ください…)

 

貨幣経済は、モノの価値を貨幣という共通のものさしで測りましょう、というやつ。貨幣の登場によってモノの価値が単に数値化されましたというだけではなく、「価値を数量的に満たしていればなんでも買える(100円の価値のものであれば100円払えば買える)」というジョーカー的存在を生み出したのが貨幣経済のひとつの特徴だろう。これが例えトークンのような別の呼び名の、世の中の貨幣と異なる価値相場のものとして再登場したとしても、この性質をもったジョーカーは便利すぎて今更人類が使用を止めることはほぼないだろう。

 

市場経済は、そのモノの値付けを個人同士の話し合いやネゴ、どちらかの言い値に対するパワーバランスの結果などで完全個別に決めるのではなく、(最終的に個別に決める要素があったとしても)原則価格の相場観は市場によって決められる、つまり需要と供給のバランスによって決められる世界と表現できるだろう。交通の発達や情報伝達手段の発達とともに定着した原理だろうと思うが、交通や情報手段が発達した現代社会において今更市場経済の原理がなくなるとも思えない。(一時的に、あるいはSF的にもし交通も情報も分断される世界がやってきたとしても、一定以上の余裕が生まれれば、その小さいコミュニティの中での市場経済カニズムはまた復活すると思う)

 

つまり、「俺たちの資本主義経済を守らなきゃ!」系発言のいくつかには、今更揺るがないであろう貨幣経済市場経済の擁護の意味になっているものがあるように思うのだ。

 

「安心してください、なくなりませんよ」と言ってあげたくなる。